(『Pt.1』からの続き…)「機動警察パトレイバー」を見てく前に、チョッと余談を。追って調べてみたら、ネット上の話題として『押井守-と-中二病』は、けっこー言われてるコトだと知った。
どーゆうコトかとゆうと、われらのカントクがヒト前で不用意なおしゃべりをワリとなされがちなので。するとネットピープルが『ッたく押井は中二病でェ』…みたく反応する、的な。
(このテのネット用語はだぃたぃそうだが、いっきなし『上から目線』で、モノが言われてる。ヒトに対して『空気を嫁』とゆうヒトは、自分は空気が読めてると想ってるし。かつヒトを『中二病』と診断するヒトは、自分は異なると想ってるのだろう)
…そーゆう見方が現にある、と知った上で眺めれば。さきにご紹介した「学園黙示録」第5巻の帯に並んだスイセン文2本が、ヘンなイミ作用をきたしてるよーにも見えてクる。カンタンに申せば賀東氏が自らもろともにわれらの押井カントクもまた、リッパな『中二病男児』だとおおせかのよーな。
そのよーな記号作用が意図テキに演出されてンだとは、まさか想わないが。にしてもこのよーに、「学園黙示録」とゆうまんが本の上で運悪く(?)、『押井守』と『中二病』、とゆう2コの単語が出遭(いそこな)い、その場でヘンにイミありげな2ショットが構成されちまッてる。とゆう眺めを見て筆者は、何ンとな~く面白いと想わンでもないのだッた。…と、余談はココまでにして…。
さぁて「機動警察パトレイバー」のハナシだが、われわれが前回の堕文にて見た『趣味人』テキな悪役≪内海課長≫の造型。カレたちの特異なる所業らが、原作まんが全編のハシラをなすモノであろーかと、われわれは考えた。
とゆう地点から、押井守カントクによる「機動警察パトレイバー」の劇場映画版、その2本を見返せばッ? 最初からチラホラ想ってたコトだが、その押井劇場版「パトレイバー」2本につぃて、オハナシの中心に存在してるよーな≪事件≫らを起こす連中が、どーにも『マトモな犯罪者』とは言いがたい。『ナゼそんなコトを?』とゆう動機の部分に、よくは分かりがたぃモノがある。
比するなら「イノセンス」なンてのもワケ分からな気味な映画だが、しかし劇中の黒幕の動機は『不正な手段を用いても、大もーけしたい』…と、いたってシンプルだ。いわばソコには、『マトモな悪人』とゆうテイサイがある(!)。けれどそーゆう分かりやすさ(の断片)が、押井劇場版「パトレイバー」2本の方にはない。
『ナゼそーなのか』…とゆうコトを、ただ考えてても分かンなかったが。しかし原作まんがをひととーり見た上では、ソレがワリと分かったよーな気に…(前にもゆったが、筆者は「パトレイバー」シリーズについてごく最近まで、ほぼ何も知らンかった。まず押井劇場版2本を見てから、追って他のシリーズ作らに触れつつある)。
つまり押井劇場版「パトレイバー」2本に出てるストレンジな悪役たちは、原作まんがの生み出した『新味ある悪のヒーロー』である内海へと対抗してンのだ。そのカマエからカレらは、何ンかこう常人には割り切れず≪共感≫あたわざるよーな動機によって、その悪事らにハゲんでみせたのだ。
そして前向きにとらえるならば、その部位において押井劇場版「パトレイバー」2本は、原作まんが以来のシリーズの特徴を、チャンと継承してンのだ…とも言える。つまり原作でゆうきまさみセンセが描いておられるのは、レイバー隊がフツーの警察とはかなり異なるよーに、その敵手らもまた、フツーの犯罪者らとはかなり異なる…とゆう物語だし。
…何ン度もゆったコトだが、対峙してる双方に、抜きがたき『遊び』のフンイキがある。とゆうトコが、一般テキなSF警察モノに対して「パトレイバー」が≪差異≫をなしてる部位だ。そのフンイキを楽しめないヒトには、「パトレイバー」は楽しめないよーな気がする。
(ところがだ、「パトレイバー」シリーズ諸作の中で押井劇場版2本がやや浮いてンのは、1つ申すと、その『遊びのフンイキ』がややウスぃとゆうコトだ。ソコは、気にしとくべきポイントかも?)
で、見てれば内海はケシカらぬ悪党にはチガイないが、しかしナゼだかストレートには憎みきれぬヤツ…と感じるとすれば、ソレはわれわれがレイバー隊と内海とのカケ合いに、モンダイの『遊び』とゆうモノを見てるからだろう。そーであれば内海の想うツボなンだが、しかしそうだ。原作「パトレイバー」が面白い作品だと感じられる理由の半分くらぃは、内海による劇中の『演出』らが面白ぃからだ。
と、そのよーに。『悪のヒーロー』として≪デスラー≫や≪シャア≫らに及ぶまではイカぬにしろ、しかしカレらとはまた異なるニューテイストを魅せた内海課長がいて…。追ってそのカレに対抗し、またフカシギな悪事をなした、押井劇場版「パトレイバー」2本の悪役たちがいて…。
けれども後者らが、内海カチョーに匹敵するよーな『オモシロ演出』を、その劇中でなしえたかとゆうと…ッ!?
とまでを見てから、押井劇場版「パトレイバー」2本の悪役らの所業をチョッと、チェキってみるのだが。そーしてそーゆう話題だけに以下はネタばらし的なハナシになるコトを、皆さまにお断りしつつ。
さてだけど押井劇場版「パトレイバー」の1本め(1989)の悪役につぃて、筆者は異様に語りニクぃモノを感じるのだった。粗雑にゆうならこの犯人は、天才的なプログラマーでありつつ、そしてありえぬホド影のウスぃ、存在感のない人物で…。そして急激な再開発によって喪われつつある≪東京≫の姿を惜しむよーなキモチから、その悪だくみに及んだらしぃ。そして、全都に大惨事をもたらすよーなプログラムをシカケた上で、本人はサッサと自殺してしまったらしぃ。
とゆう記述が、合ってンのかどーかも(自分では)判断しがたいが。にしても『そのよーなジンブツ像をどー見るか?』とゆう問いの前に、筆者はスマンが絶句せざるをえない。
…この犯人サンがココロにいだいた(らしき)、『喪われつつある≪東京≫』への愛惜のキモチ…とゆうトコまでは、筆者にはヒジョーによく分かるのだ。いちおう自分も東京のニンゲンだし、そんなよーな時代(“バブル”の前後)に『同じ』眺めを見てキたンだから。
だからカレの生前の足取りを追う刑事たちが、『喪われつつある≪東京≫』的なうらぶれたスポットをたずね歩き、そーしてしまぃに廃墟っぽぃトコでひと休みしてるかと想ったら、カメラがグッと引いて大俯瞰になり、その廃墟は取り壊された銭湯の跡だと分かる…とゆう、あのメイ場面。ソレにはひじょうに、クるモンを覚えるのだが…。
さらに物語のさいご、『カレ』のシカケた大惨事を防止しよーとするレイバー隊員たちは最終的に、高い塔のてっぺんの制御室っぽいトコにビッシリと、大量の鳥たちが休んでるのを見る。その鳥たちは在原業平の名歌に詠まれた≪都鳥≫であり、翼はあれどもナゼかドコへも行けない連中であり、つまり『カレ』およびオレのよーな東京土着民らをさす。
不在の犯人がそのよーな姿で現れて、ソコで≪われわれ≫との出遭い(そこね)を演じてるのだ。そーして自分は、その場面にて見出されたのが『カレ』なのか、あるいは『オレ』なのか…とゆうまどいの前でめまいを感じるのだッた。
(参考: あまりカンケイないかも知れンが黒澤明「野良犬」で、ヒーローの刑事はカレの追う犯人像にセマるたび、『カレ-と-われ』との区別がひじょうにツケにくくなってクる。そーしてさいごの大詰め、泥ンコの中で取っ組みあって全身が真っ黒ヶになったご両人は、客観テキにまったく区別がツカなくなる)
だが、しかし。そーかとゆっても『そのコト』が、われらの犯人サンがその兇行をプログラムしてかつ自殺し去った、その≪理由≫になるのかどーかッ?
『そーゆうワケ』によって、『そーゆうコト』になりました…と言われたら、ナニか無視しえぬ大飛躍があるンじゃないか…とゆう気がしてならない。1つのカンジンなコトが、言わずとも言われてる…とゆう感じがしない。申し切れぬコトだが、例の≪メガネくん≫の使った語を借りれば『寸足らず』、ビミョーにも『寸足らず』な表現になっちゃッてンのでは、と感じられるのだが?
そしてムリにでもお題に引きツケて申すなら、そーした『寸足らず』感の現前が『中二病』の症候とゆうコトを想わせなくもない、と。(…『Pt.3』へ続く)
2009/10/31
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