2009/10/04

ヘンケン艦長の身の処し方から? - Zガンダム(6)

あ、またもガンダム話でひじょうに申し訳ないけれどッ! しかしカィとかないと、自分の考えてたコトも忘れちゃうので…。

ごくごく、手短にゆおうとしつつ。「機動戦士Zガンダム」に登場するヘンケン艦長のコトだが、以下はネタばらしに該当するよーなハナシになり気味なので、念のタメ。

物語の最終局面あたり、自分が岡惚れしてるエマ・シーンが戦死しそうなのでヘンケンは、カレの宇宙戦艦を盾にしてエマの生命を救おーとする。エマをはじめとするカレの部下たちが、『ソレでは艦がヤラレてしまう!』、と制止するのも聞かないで。
すると、どーなったかッ? エマたちのゆった通り、ヘンケンの艦は敵のロボットにヤラレて轟チンのウキ目を見る。ソレでヘンケンが死ぬのはもちろんだが、カレの艦の乗組員らもみ~んな道連れになる(!)。
そして、ヘンケンがありえざる挙に出てまで救おうとしたエマは、その場での即死だけはまぬがれたが。しかしすでに致命的な負傷をしてたらしく、追って宇宙ステーションか何かの中で、カミーユ君にみとられながら死んでしまう(…余談だがその後、カミーユ君が彼女と別れて戦闘に戻ろうとすると、その場の人工重力が切れてエマのカラダがふわ~りと宙に浮き上がる。この場面の、凄愴な美しさは印象深い)。

「Zガンダム」とゆう作品はズイブンとアチコチで、初代ガンダムを幻滅テキなヤリ方で≪反復≫してるトコがある。イヤむしろ、ソレばっかし!…とゆったよーなコトを何ン度も申してるけれど、コレがまた。
われわれは初代のガンダムにて、『とても感動テキな自己犠牲のシーン』らしきモノを、いくつか見てる。ところが「Z」にてのヘンケンの『自己犠牲』は、初代に出てたリュウやマチルダの『感動的』な挙を、≪反復≫しよーとしてゼンゼン反復デキてない。カレのヤッたコトはすでに瀕死のエマをタブン数十分間ほど延命デキたにすぎず、そしてそのタメにカレは自分のイノチばかりか、カレのモノでない乗組員らの生命を戦艦ごとギセイにしやがったのだ。

で、そのよーにヘンケンは、『崇高なる自己犠牲』とやらを想ッくそヤリそこなってるが。しかしそーかとゆってわれわれは、この艦長を逆に『悪人』かのよーにも見なしニクぃのではッ? ソコらが実に、「Z」特有の煮えきらないトコだ!
カレは軍人でありかつ『長』のつくよーな立場の者として、ゼッタイにヤッてはならンよーなコトをヤリやがったか、とは見える。がしかし、カレがニンゲンとしてありえぬ非道なコトをヤリくさったとまでは、ナゼか言いニクぃ感じあり。よってカレへとおくるコトバは、『リッパなドアホウであったなァ』…くれーしか、筆者には想いツカない。
またソレと、ゼンゼン似てなくはないよーな感じで。終盤でのレコアの寝返りにしても見てるわれわれは、その挙をトーゼン肯定はデキず、しかしムゲなる否定もしきれない。かくてカレらの行為らの≪イミ≫とゆうモノは、われわれのまなざしの前で宙に浮きまくッてる。

このよーなカッコのつかなさは、ヘンケンやレコアだけのコトでなく、初代に並べてみたときの「Zガンダム」全般の特徴かと見れる。初代ガンダムが『リアリズム』の提示から始まって『スウィ~ト・ドリ~夢』(いま直接に申してるのはニュータイプ救世主義のコト)にまでヒトを誘導する作品だったとすれば、「Z」はそのドリ~夢の大破綻から始まッて、そしてあるイミでの『リアリズム』をプイと放り出す作品になっている。
と、『リアリズム』とゆう語がいま2回出たが、むろんそれぞれのイミは異なっている。まず初代ガンダムについては、『ロボットSF戦争アニメ』とゆうワクの中での≪リアリティ≫がウマく追求されてた、とゆう『リアリズム』だし。その一方の「Z」の『リアリズム』とは、もっとムキ出しのワケ分からんイミ不明なる≪現実的なもの≫が、描かれてるとゆうか、ソレがチラチラかいま見えてるとゆうか…。

かくて、初代に並べてみたときの「Zガンダム」においては。ヘンケンにリュウやマチルダのマネごとがデキないばかりか、カミーユ君もまたアムロ君のよーなリッパなヒーローにはなれないし。そして「Z」にヤタラ大ぜい出てクる女性キャラクターたちもまた誰1人、ララァのよーなリッパなヒロインにはなれない。かつ初代から出てるジンブツらにしても、「Z」に出てるシャアやアムロが、以前よりもカッコいいと想うヒトはまずいないだろーし。
…かろーじてファ1人が、『幼なじみキャラクター』としての一貫した献身ブリで、初代のフラウ・ボウを超えたのが快挙ともゆえそーか。と申すのは、初代を先日再見してて、『そのオハナシの終盤、フラウがアムロ君への特別な関心を失ってしまう』…とゆうトコが、筆者にはひじょうにショッキングだったので!
(だから、かの名高きラストシーンでアムロ君が、『フラウ、大好きなフラウ』…と、やっと初めて『正しいこと』をコトバにデキたときには、すでにコトは終わってたワケだ。コレはイタいッ!)

たったいまファの名前が出たトコでの思いツキによって、「Zガンダム」の世界が全般にどンだけデタラメかを形容すると。ソレは『幼なじみキャラクターがフツーに寝取られる(!)』、そのよーなデタラメさと申すコトもデキそーだ。『ソレはソレでコーフンする』…ナドとゆう寝言は聞ーてないが、つまり「Z」の世界は、われわれの世界と同じくれーにデタラメなのだ。
かとゆって劇中でじっさいに、ファがシロッコあたりのオトコに寝取られちまうとゆうコトはない。ソコが一種の救いであり(?)、『一線』を越さなかったトコかなぁ…とは、感じる。が、そーかとゆって、仮にシロッコのもとに走るのがレコアでなくファだったとしても、このオハナシの全般は何ンら支障なく成り立つンではッ!?

アニメとか見るよーなニンゲンらの中に、『幼なじみキャラクター』に対するフシギな安心感とゆうモノは、ナゼかあるモノらしぃ。そのよーなモノがオレのよーなバカなオトコらだけでなく、女性や少女たちの中にもありそーなコトは、ザラにある少女まんがの超一大ルーチンを見れば知れる。…『何かチョッとしたイベントをこなした結果ヒロインは、びみょうなカンケイだった幼なじみと、めでたく相思相愛に』。かつコレこそ、フラウもファもが望んでたコトなのでは。
ただし女-男の異なりは、女性たちがいちおう意識化デキてる幼なじみの異性への想いを、オトコらはイシキ化するコトさえもがデキにくぃらしぃ。このコトは少なくとも、ゆってるオレ自身に関する≪真理≫ではありげ。そーでなければ、大して感情移入して見てるツモリもなかった≪フラウ×アムロ≫関係の終わりを、『ショッキング!』と感じたコトの理由がツカない。

…とまでのハナシにオチをツケにくぃんだけど、想ぃマスに。

まず、初代ガンダムの物語に何ンらかの≪教訓≫を見るとゆうのは、ワリとフツーの感性のシワザではあるかと。ココで筆者が申してンのは、そのストーリーをアムロ君の『成長物語』と見るよーなコトだ。
つまり、どーでもニンゲンは社会の中で生きなければならないし、そしてその中で何ンらかの役割を果たさねばならない。で、その『役割を果たす』タメ、フツーのヒトは何ンらかの≪組織≫に属するよーなハメになる。そしてその組織の中での身の処し方ッてのが、ま~たムズカしく…。等々々のよーなコトがアムロ君の視点を通して学べるオハナシだと、初代ガンダムを見るよーなまなざしは、ありうるかと。

ところが続いた「Z」のストーリーに、そのよーな教訓性があるだろーか? むしろそのオハナシは、『社会および組織の中で生きるしかないが、そンなトコで生きるコトは不可能である』てなコトを伝えてるよーに想える。ひじょうにイヤだが、ソレがまた本当のコトなのだ。
だから(ハッキリ言わないが)、「Z」のさいごでカミーユ君があのよーになッちまったのは、きわめていたましくも必然とゆえば必然なのだ。『ナゼ、カレはあのよーなコトに?』…とゆう設問への答はイロイロ考えられるけど、いまは1つ、常人チックなヒトビトが通常テキトーに流してる致命的なジレンマを、流せなくなっちゃッたから…とゆう答を提示いたしとく。

ソレコレによって「Zガンダム」は、その≪すべて≫にわたるまったくの収まりのツカなさによって、ふだんわれわれが見ても見ないよーな≪現実的なもの≫、そしてソコに由来するニガすぎな≪真理≫とかを、かいま見せる作品になってンのかなぁ…とゆう気はしてキたのだった。
だからヘンケン艦長の、『愚挙』とゆえそーな行動にしても。そのアンマリなカッコのツカなさは逆に、ガンダムシリーズがびみょうにも美化して描いてやがる≪特攻≫とゆうコト、そのまったくの無イミさを教えてンのだ…とゆう受けとめ方はデキるだろう。初代に描かれた『美しいウソ』の数々の大ホーカイを、われわれは「Z」にて見るハメになってンのだ。
そーゆえば「Z」には『ジェリド特攻』とゆう題名の回があるけれど、しかしその回でジェリドは死なないし、そもそもカレが≪特攻≫をヤッたのかどーかさえも、よく分からンかった。とゆった≪すべて≫のカッコのツカなさ、ソレが「Z」の流儀ッ!

ところで筆者の知ってるコトとして、初代よりも「Zガンダム」の方が自分には印象深い、とゆう方々はおられる。だぃたぃは自分より年少の友人たちなので、世代的に『先にふれたのが「Z」だった』…なンて理由もあるのだろーが、ソレだけなのだろーか? 「Z」のどーゆうトコにひかれるのか、いつか聞いてみたぃ気はする。
とぉ、予想外にガンダムのハナシが続いたので(マズぅ~)。次の記事は、チャンと押井守作品でッ! でゎシツレイしました~!

1 件のコメント:

  1. icenerv様、どうもお久しぶりです。鳴石るとです。レスポンスが遅くなり 414;してすみません。

    マチルダは結婚したくなかったのかもしれないとのご指摘に、はっとさせられました。
    私はうっかり、例の結婚式の光景を鵜呑みにしていましたが、あれはアムロの単なる妄想で、マチルダ自身は結婚について何も言ってなかったですね。
    ウッディ大尉も、マチルダが「その時はホワイトベースの人もジャブローにいるだろうから、式には出てもらおう」と言っていたとしか言ってなかったですし。

    それと、富野ガンダムの「ブスは結婚できる法則」に例外があったことを思いだしました。
    Vガンダム('93年)のマーベットです。ただこの事例では、即未亡人になるんですが。

    ・カミーユがむっつりスケベ
    >ロケットを準備中のレコアに声をかけながら、その胸から腰のあたりをジロジロと舐め廻すよーに眺める

    ∀ガンダムの主人公ロランを思い出しました。言動がまるで違うのに、カミーユも同じことしてたんですね……。TV版Zはほとんど観てないので知りませんでした。さすが同じ17歳。

    ・ヘンケンの公私混同
    >カレのモノでない乗組員らの生命を戦艦ごとギセイにしやがった

    本当に"自己"犠牲だったファーストの面々と違って、ヘンケンは自己犠牲どころか大勢の部下を犠牲にしちゃってますね。
    "正義の側"であるはずのエゥーゴに、まともな大人は一人もいなかったというところに、富野監督の(自身の人間関係への)怨念を感じます。

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