(『Pt.1』からの続き…)世には、≪反復≫は悲劇を喜劇にする、かのよーなコトが言われるが(…えっと確か、コレはマルクス様のメイ言だとか?)。しかしこの場合は、ハナシが逆だ。初代ガンダムの終わり方をあるイミでのハッピーエンドと受けとっておくと、「Z」の終わり方がどーにもヤバすぎる。
そして≪反復≫とゆうのなら「Z」には反復が多すぎで、前の堕文で話題になった、『ナゼに軍隊のパイロットが女性ばっかなのか?』…とゆうカミーユ君のギモンには、ココでいちおうの答が得られる。その理由とは、初代でおなじみ『ララァ×アムロ』の大詰めシーンを、ぞんぶんに大量生産で≪反復≫するタメだ。
ところで見てればソレとなくワカるコトだが、ニュータイプ同士だったとしてもお互いが≪異性≫でなければ、『ララァ×アムロ』の大詰めで描かれたよーなキョーレツな『出遭い(そこね)』は、生じないらしぃ。たとぇば「Z」にはアムロとシャアとの2ショットがたびたび描かれてるが(キャ~!)、しかしニュータイプ同士だからとゆって特別なコトは、何ンも起こらないワケで。
そしてアムロ君がララァと出遭(いそこな)ってしまったコトが、初代のケツ末ではともかくも『よかったコト』と描かれてるよーに想えるが。しかし「Z」でのアムロ(ら)は、ソレをあんまし『よかったコト』とは考えてなさげ。
で、そのよーなコトの≪反復≫はヤメなければ…とアムロは考えてンのに、カミーユ君はこりもせずその≪反復≫をヤメない。そして(ひそやかにも)ニュータイプ救世主義を護持し続けてるシャアは、ソコのところでタイドをハッキリさしてないよーな感じ。
で、『ララァ×アムロ』が示したよーなニュータイプ同士の究極の交感とは、いったいナニごとなのかとゆうと? ソレをわれわれは、『≪性的関係≫が(ついに!)存在し、かつ現前しうる』…とゆうテーゼの描出、と受けとるコトがデキそう。
ただし事実としたらハッキリと、『性的関係は存在しない』。ではあるがヒトビトは、『性的関係が存在する(存在しうる)』とゆうコトバを聞きたがってるのだ。そして「Z」とゆう作品は…その物語は…その作中ジンブツらは、『性的関係は存在すべき』とゆうヒトビトの願望と『性的関係は存在しない』とゆう事実とのはざまにて想ッくそ、のたうち廻ッてみせてるのだ。
ところでニンゲンとゆう存在自体が、『性的関係のなさ』を前提に成り立ってるよーなトコはある。だからこそ初代の『ララァ×アムロ』でも「Z」でも、『性的関係の現前』を見たよーな2人は、その一方が死ななければならない…のかも知れない。『既知のブツリ法則を成り立たしめるタメに、かくかくのよーな現象が生じる』などとゆう転倒気味な説明を聞くコトがあるが、コレはソレかも知れない。
てゆうかよく見たら「Z」においては逆に、片方の死が確定した時点でやっと、その『ニュータイプ同士の究極の交感』的な描写が始まる…とゆうのがある。『性的関係の現前』があるとすれば、それはいまわのきわの幻覚としてノミ…だとゆうのも、まったく言いたくはないコトだが。
しかもソコで死ぬ側に廻るのは、必ずや女性の方だ。ナゼに必ず女性が死ぬのかとゆうと、ほんとうに『ヒトを愛する』とゆうコトがデキるのは女性だけだから…とでもゆっときたぃ気はするが。けれどそのよーな想念がけっきょくは、筆者においてもごくごくフツーの凡人として、『性的関係の存在を信じたい』…てコトの表れなのかも。
ところで「Z」における、シリーズ前作での『ララァ×アムロ』の出遭い(そこね)を反復しての、『ニュータイプ同士の究極の交感』チックな描写。…とゆうモノがやたらにある中で、作の大詰め直前での『ハマーン×カミーユ』は、チョッと異なったモノになってる感じ(第47話)。ソコで対峙したニュータイプ2人はお互いの中に、それぞれの『見たいイメージ』を見るのだ。
まずはカミーユ君につぃてゆうと、カレはハマーンの中にカレが特別に見てる女性たちのイメージらを、次々と見る…次々と。さすがわれらのカミーユ君、幼なじみのファから『女好き!』と叱られて『悪いかよ!』と、パックン開き直りやがった≪あたる君≫だけにッ。
ソレはともかく、やがてカミーユ君の目にするイメージらは、カレの亡母とゆうイメージに収束する。その最終的な『想像(イメージ)』の中には、過去の若き母と幼きカミーユ君がいる。その2人は希望と喜びに満ちて、幸せそーだ。
その一方のハマーンが見るイメージは、そんなにもりだくさんではなくて。まずはシロッコとシャアのイメージがフラッシュし、次には過去の、あどけない少女だったころの彼女自身と、そして兄と慕ったかってのシャアとのラブラブっぽぃ2ショット…ソレを彼女は、カミーユ君の中に見る。
コレを極端に単純にゆうと、ハマーンはカミーユ君の中にシャアを見ており、カミーユ君はハマーンの中に自分の母を見てるのだ。そしてそれぞれのイメージはそれぞれに、いまは求めえぬ幼時の至上の幸福を…永遠(とわ)に失われてしまったソレを、チラリとかいま見せるのだ。
とゆうワケでこのご両人は、対峙しながら『同床異夢』をきわめてる(かと見れる)。にもかかーらず、カミーユ君はカレらが『同じものを見た!』と言い、そして『ヒトは分かりあえるんだ!』と言う。
けれど一方のハマーンは、『よくもズケズケとヒトの中に入る!』と言い棄てて、たったいまの幻視を…『ニュータイプ同士の交感』を不快感とともに否定し去り、そして再びカミーユ君にケンカを売り直すのだった。(『Pt.3』へ続く)
2009/10/02
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