2009/09/25

アニメと呼ばれるイヤらしぃ夢 Pt.2 - Zガンダム(2)

(『Pt.1』からの続き…)ところで筆者は想うンだが、見た目はキレイなおねー様たちといえども、相手は百戦錬磨の≪職業軍人≫なンだから。そンなオトコが考えるよーなやさしさを、彼女らに期待するのはムリなンではないかと? このおねー様らと、初代で活躍したセイラ、ミライ、マチルダらとは、根本テキに違うし。
コトを上から見て言えるコトだが、もっとずっと『やさしい』ミライでさえも、かってアムロ君に対して、あまり『やさしく』接してもいれなかったのだ。しかしわれらのカミーユ君は、カレが想うよーなコトはないと(いちおう)さとった上でも、おねー様たちに対して職業テキに接する…とゆうふーにはならンのだった。
印象深いシーンは、何かの都合でおねー様の1人のレコアが、単身で地球に降下するコトになる。すると、特に用事もないのにカミーユ君は、ロケットを準備中のレコアに声をかけながら、その胸から腰のあたりをジロジロと舐め廻すよーに眺めるのだった(!)。よく分からぬよーで実によく分かる場面であり、筆者はつぃつぃ爆笑を禁じえなかったがッ!
(…そしてそのシーンを見た上では、カミーユ君が入浴の途中のファの半裸をまったくエンリョなく拝見しまくるとゆう場面に意外性みたぃのが、コレっぽっちもないッ)

またチョッとビックリいたすのはカレが、敵軍の女性パイロットのライラおねー様に対してさえも、何ンとなく甘えたタイドに出るコトだ。他に女性があまりいないッてのもありつつ、しかしコレじゃ、カレはどーにも他ならぬ≪女性兵士≫てモノがスキなのでは…とゆう気がしてクる。そーゆう趣向があるコトをわれわれは知っており、かつそンな趣向の存在理由も知っている。そしてそのよーな≪カミーユ君≫たちに向けて、この作品が作られてるよーな気がせぬコトもない。

かつ因果なコトに、カレがその素性を知らずにひかれた≪フォウ≫も実は敵軍のパイロットだったし、そして幼なじみのファもまた、追ってエウーゴのパイロットになるのだ。そーしてさすがのカミーユ君もしまいには、どーしてこんなにも軍隊のパイロットが女性ばっかなのか…とゆうギモンをいだく。そして『時代が変わってるのか』と、特にイミをなさないよーなコトをゆう(…初代ガンダムに描かれた『一年戦争』のころ、女性パイロットはきわめて例外テキな存在だった)。
けど、オレの見るに。あまりシテキしたくもないコトだが、カレのゆう『時代が変わった』とは、まずは作中の時代の変化をゆってるにせよ。だがむしろ作品の外側にて、7年間とゆう刻(とき)の間に、時代も変わりヒトらも変わった…とゆうコトではなかろーか? あえてゆうなら、カスである…じゃなく。いまのコトバでゆって、勇ましく闘う女性キャラクターが≪萌え≫だと。がしかし、いまは作品外のハナシはさておいて。

ところでどーにもウットーしぃのは、ツゴウに応じて『軍隊だから』、『軍人だから』、『戦争中だから』、と言い張っておられるこの女性戦士たちが、そンなには職業に徹しておらずワリと感情まかせに動いており、しかもいちように情緒不安定気味だとゆうコトだ。ソレが特に若いベルトーチカ、フォウ、ファ、サラらにおいてひじょうにヒドく、また、もっと筋金入りなハズのおねー様らにおいても相当ある。
ココらに≪神経症≫っぽぃ徴候を見るのはワリとふつーの診立てかと考えられ、「Z」作中の女性らがミョーに勇ましぃのは逆に、いろンなイミでフガイなきオトコどもへ向けてのプロテストに他ならない。だからカミーユ君ごときヒヨッコじゃーハナシにならンにせよ(涙)、しかし敵ボスのシロッコがそそり立つオトコぶりを見せると、歴戦のレコアおねー様がたわいなくキュ~ンとなっちまう。

むしろそのよーな展開を大いに期待して、彼女らは戦場とゆう舞台にいるのだ。ゆってる自分もビックリなよーなコトを申すが、武器を振り廻すコトは彼女らなりの媚態であり挑撥なのだ。
とゆうふーに考えると、よせばイイのにファが戦闘用ロボットのパイロットなどに志願した理由がよく分かるだろう。ソレはトーゼン、おねー様たちのお尻ばっか見てるカミーユ君に向けての媚態であり挑撥に他ならぬ。
ソレコレによって、さきからゆってるイヤらしさ、ソレも場チガイ気味でトートツなイヤらしさこそ、「Z」のエッセンスに他ならぬ。トートツな暴力とゆうのもそーだが、少女や少年らはもとよりトシ喰った連中にてもオトナげがひじょうになく、衝動を抑えるとゆうコトがデキかねている。

けれどもハタから見てて筆者が想うのは、『ヤるならば戦争かメロドラマか、ドッチかだけにしたらイイんでは?』…と。戦場とゆうステージ上でその≪神経症≫チックな女性らは、死と愛欲とが裏オモテに抱き合わされた≪ロンド≫を踊る(…ちょーどレコアのフルネームが、レコア・『ロンド』で)。その眺めこそが真のみどころかのよーにも見え、ソレに対して『スペースノイドがどうこう』とゆう見かけ上のテーマ性(?)…作中のオトコらがいちおう追求してるコトが、あまりにもカンケイない。
だから「Z」に対してフツーは誰もが感じるよーな、オハナシの中心のなさ、ドラマ性が四分五裂、心理の展開がトッピで飛躍あり、とゆった印象のモトは、ソコらにあるのかと。われわれは「Z」につぃて、『コレは戦争のオハナシかなァ』と想って見てればメロドラマを見るハメになり、メロドラマだと想って見てれば戦争を見せられるハメになる。

しかもその両サイドがそれぞれに、『成り立ってる』モンなのかどーなのか? むしろ「Z」とゆう作品は、そのストーリーもテーマ性もぞんぶんにブンレツしてる超ドサクサにおぃて、かろーじて『成り立ってる』かのよーに見えるシロモノかと想うのだ。ホメてないけど、そのムヤミと迷宮テキな構成はソコにおぃて確かに機能してやがる。面白いとは言いがたくも、ゼンゼン見るにたえざるシロモノでもない…とゆう水準をキープしてるのはソコが機能してるからだ。
自ら称して≪ガンダムおじさん≫とゆう、このシリーズの産みの親テキなヒトがいるけれど、カレの作品群はいちようにあらゆるイミで分かりニクい。ソレらを見て受け手らは、ナニかをチョッピリ分かッただけでも、『エレぇコトをヤッた』かのよーな錯覚に陥る。
(≪ガンダムおじさん≫とゆう異名は富野カントクが、「Z」サントラ盤のライナー中でゆってた語。『ゼッタイにヤラぬと断言してたガンダムの続編をヤるハメになッちまッた以上、自分はヒトから≪ガンダムおじさん≫とゆわれてもしょーがない』、とか何ンとか。とはつまり、『ガンダムおじさんと呼ばれたい』とゆうイミに受けとるべきかと)

そしてこの「Z」とゆうお芝居の全般テキなドサクサぶりは、作中人物らが戦争のドサクサまぎれにそれぞれの≪欲望≫を追求しよーとゆうそれぞれの身ぶりとは、キレイに対応してる。だからわれらのカミーユ君が、戦争のドサクサまぎれにナンパ的な行動を行き当たりばったりに繰り返し、まるでかの≪諸星あたる君≫を反復してるよーなのも、この作中では特にヘンなコトとも言えない。上から下まで、そして最初から最後までを貫徹して、≪公私混同≫こそが、「Z」の作劇の最大原理なのだ。

さらにそのブンレツを基礎づける「Z」とゆう作品の全般テキなフンイキを、筆者のコトバでゆえば、『幻滅してるが、幻想は棄てきれない』。まず前提に、かの『一年戦争』とゆう大きすぎなギセイを払った上でも人類は、まったく何ンら向上するトコがなかったとゆう大幻滅があり。
ソコらを何ンとか取り返そうとゆうのが、オトコらがタテマエとして追求してるコトのよーだが(…しかし、その実質はイカに?)。かつ初代ガンダムとの異同とゆえば「Z」には、リュウやランバ・ラルのよーな大らかでゴーケツっぽぃ男子たちがまったく登場せず、オトコらがみなコセコセして女々しい。
で、ソレに沿うよーな沿わぬよーなカタチで勇ましく奮い立ってる女性たちは、世に言う『平凡な幸せ』のベースさえをも作れぬオトコどもにハッキリと幻滅はしつつ、しかしオトコらに対する幻想を棄てきれない。だからこの女性たちの行動が勇ましくはありながら、ミョーにまっすぐでないのだ。とゆう奇妙な『まっすぐでなさ』が、『題材は重いが作劇が軽い』とゆう「Z」のフシギな特徴を形成しつつ。
(そしてそンなよーな女性像は、続いた1988年の作品「逆襲のシャア」劇場版にもやたら描かれる。ソッチの作品のヒロイン格っぽぃクェスのジンブツ像は、フロイト「あるヒステリー分析の断片」に描かれた≪症例ドーラ≫をチープに反復してるモノかと見ゆる)

ソレとわれらがカミーユ君においては、その両親に『幻滅』しつつも、2人への『幻想』を棄てきれず。またカツ君においては、『一年戦争』の後のアムロのフガイなさに幻滅しつつも、カレへの幻想を棄てきれず。さらにファは、チャンとしたナイトを演じてくれないカミーユ君に対して…。かつホワイトベースの元クルーらは、エウーゴの一兵士の立場に甘ンじてるシャアに対して…。等々々と、描かれた構図らは重なる。

ところで『オトコ(の支配)に対する幻滅』とゆう感じ方を、若めな男子のカミーユ君やカツ君もまた共有してるコト、ソレをも見とくべきだろう。だからカレらは歴戦のおねー様たちに対し、ヘンにふくらみある幻想をいだいて、そのお尻を追ッかけ廻し、そして≪何か≫を彼女らに大いに期待するのだが。
しかしおねー様たちには、カレらごときの期待に応じようとゆう気がゼンゼンない。かくてこのお芝居の中では、互いの幻想と幻想とが、ただただスレ違い続けるばっかしなのだ。とまでゆって、いったん終わる。

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