ヒトはカンジンなコトを言わないタメに、どーでもいいコトをペラペラとまくしたてる。分かッた上での所業だとしても、われらが押井守作品は、ソレの見本を示してるよーなトコはある…以下で話題になる「イノセンス」を、その傾向の筆頭として。
あるぃは。…柿を食べていて、予想外にタネを思いっきり噛ンでしまうと歯が痛い。柿なんて大して美味いモンでもねークセして、こンなふーにニンゲン様を苦しめるとはシッケイ千万だ。ヒトが、押井作品の一大特徴かとも見られる『無イミなウンチクのタレ流し』を喰らッた時の感じ方は、まぁだぃたぃそんなモノでもあるのかも。
で、はたしてソコでのモンダイは、その果肉が大して美味くもないコトにあるのか、またはそのタネがムダにカタすぎるコトにあるのだろーか?
ところでウンチクとゆうンなら、筆者はタマタマ先日、小栗虫太郎「黒死館殺人事件」(1935)を読み返したトコで。コッチがコレまた、トホーもないウンチク小説なのだった。
しかも。われらが見ている押井守「イノセンス」劇中にタレ流されるウンチク…この場合だと名言・箴言の類は、そのフレーズら自体は“誰”も知らずとも、ソレをゆったのは相当マトモっぽぃ有名人たちだ(孔子、プラトン、ラ・メトリ、ミルトン…等々々)。
しかし一方の「黒死館」はヒドくって、むしろ中世史や近代史の忘れたい汚点に近いよーな、ヘンクツ学者とか魔術研究家とか異端の宗教家とか…そのテのヤカラの妄言に近いよーな奇説チン説らを、メイ探偵の≪法水麟太郎≫がご紹介なさりまくるッ。このヒーローの言うによれば、ソレらの奇説チン説らこそ、カレらが≪真相≫へ向かうタメのキーなのだ。
だぃたぃその作品、「黒死館殺人事件」とゆうモノ自体が全般テキには、ゲーテ「ファウスト」をネタとした≪見立て殺人≫のナゾを解く…のよーなオハナシになってるかと感じたが。そしてココでのゲーテもまた、啓蒙シュギ者としてのカレでなく、そのワリと神秘家テキなトコにスポットが当てられてンのだった。
で、現場での捜査中だッてぇのにそンなウンチクらをブツけられたお供の検事と刑事は『またか』とタメ息をつき、『ソレは分かったから、事件をマジメに検討しよう』のよーに受け流す。検事と刑事では少々応じ方がチガってて、検事はいちおう法水のウンチクを受けとめるが、豪腕派の刑事はそもそもまったくハナシにツィてけない。
と、そのワキ役ら2人が、筆者のよーな凡人の代理として作中で、法水のウンチク攻撃を喰らってくれるのだが。けれども大ビックリなのは、モンダイの≪黒死館≫に閉じ込められて陰ウツきわまる生活を送ってる住人たちは、何ンらビックリもせず法水のウンチク大会にヘーキでツキ合ってみせるとゆうコトだ。
とゆう彼岸の住人らがヘーゼンと魔術や神秘シュギを素で語り、そしてヨコ文字のポエムをスラスラと暗唱しあってるよーなダイアログが、オレのよーな凡人にはまったくツィてけないトコであり。そして同時に、筆者にはひじょうに笑える≪ギャグ≫のさくれつなのだ。ゆわれてる『内容』はどーでもイイのだがお芝居として、ヒトとヒトとの間に存在してるキョリを、ソレらウンチクの洪水がアバきたてるのだ。
ソレと筆者においてユカイなのは、その「黒死館殺人事件」においてメイ探偵・法水が2回にわたってフロイトの説を引き、カレのアッパレなメイ推理のウラ付けにしてるコトだ。法水がそのよーに扱うとゆうコトは逆に、筆者が大ソンケイするフロイト様が、オモシロ奇説やチン説をよくしたヘンクツ学者だ…と言われてるよーな気がするのだ。ただし法水はアインシュタインの学説をもチョー独断テキにに利用してて、ソレと同等くらいの扱いではあるのだが。
『だいたいが真理などと云うものは、往々に、牽強附会この上なしの滑稽劇(バーレスク)にすぎない場合がある。しかも、きまっていつも、それは平凡な形で足下に落ちているものではないか。』(小栗虫太郎「黒死館殺人事件」, 第五篇の一)
…とゆう見方のあるコトが、この作品「黒死館殺人事件」を、すぐれてフロイト的なシロモノにしてる。フロイトにしろ法水にしろ、牽強付会でコッケイかつ平凡すぎるよーなコトらを≪真理≫かと言い立ててわれわれを笑わせるのだが、けどソレを単なる善意のサービスとだけも言えない。
ソレコレによって「黒死館殺人事件」のヒーローたる法水のウンチク攻撃は、実はそンなに無イミにタレ流されてるモンでもなくて。ソレは≪真理≫の発見に向かっての必要な迂回かと見られ、かつそのウンチクに応酬してくるジンブツらに対し、心理テキなトラップをシカケてるのでもある。その≪発話内容≫には大したイミがないとしても、カレがあまりにも無イミそーなコトばっかゆってる≪発話行為≫は、最後にはリッパなイミをなすのだ。
(ただし筆者には、「黒死館殺人事件」が『ミステリー』作品として、全般テキにスジの通ったモンなのかどーか?…が、よく分かッてない)
と、ゆうモノを見た上だと。われらが押井カントクの作品「イノセンス」におけるウンチクのタレ流しは、どのよーに見えるだろーか?(『Pt.2』へ続く)
2009/09/21
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