2009/09/15

前セツ: 終わらせるために?

『コトを終わらせるタメには、何ンせまずソレを始めなければならない』。とゆう説を、押井作品のアチコチで聞くよーな気がするので。少なくとも、「トーキング・ヘッド」の作中のカントクがゆってたので…。
ゆえに筆者がコレを始めることもまた、≪何か≫を終わらせるタメでない、とも限らない。

さてココは、皆さまご存じ押井守カントクのお作らのファンブログとしてヤッてこーかと想ってンのだが。しかしいきなりスマンことを申し上げると、実は筆者が大した押井ファンでない。マニアじゃない。どころか、ほとんど知らンと言いたいくらぃでもあるホドだが…。
そーとはゆっても、「うる星やつら」で押井カントクがブレイクされた時にちょーど見てたので…。オレが当時のありきたりなアニメっ仔だったので、かれこれ30年近くのおつき合いではあるワケだ。なンて、オレの事情はともかくも。

ココで再び「トーキング・ヘッド」からコトバを借りれば、いまからわれわれは、『ルールを作りながら』遊ぶ。…または『遊んでからルールを考える』とゆうのもテではあろーケド、チョッといま自分側を律するルールを考えた。

【1】 大上段なコトはヤろーとせず、『断章の集積』で大いにヨシとする。
………そーじゃないと進まないと想うし、かつまたそんなヤリ方こそ『押井的』って感じなのでは?
【2】 いわゆる『精神ヴンセキ的な解釈』は、アリとする。
………なンつてと、原則的にはソレがナシみてーだがッ!
【3】 作家らのおしゃべりは、キホン的には聞かない。
………ナゼならば作家らは、その作品らの≪意味≫を知らない。むしろイミを知らンからこそ、≪創作≫なンてヤバンなコトがデキる。現に、さきから名が出てる「トーキング・ヘッド」は、『映画論としての映画実践』ではあるワケだが、しかしその作品のイミを語ってるトコが何もない。だがソレでよく、『作品のイミ』を見出すのはわれわれ受け手側の専権事項に他ならぬ。

とまァ3つを並べてみたけれど、しかしこーゆうのを『ルール』とは言わねーな! 単に自分のヤリたぃコトをカィた、ソレのみでしたな! ま、その他のルールは追い追い『遊びながら』考えるコトとして…。
すでにこの前セツが十分に長すぎてイヤなので、始めましょーか。≪何か≫、を、終わらせるコトがデキるのかどーか…を、確かめようとして!

1 件のコメント:

  1. 白状しますがテストのために、自分で「うけた!」のボタンを押しました。

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