2009/09/16

不ケンコー全裸系! - 攻殻機動隊(1)

この作品、「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」を初めて見たのはLate 1990's、いまはない池袋文芸座地下の押井守特集、とゆう機会にてだった。細かいコトをイロイロ記録されてる方々がおられるので、調べるとソレは何年何月の第何週、とゆうくらぃは判明するかも知れぬ。
で、その時の印象だが…。『アッケにとられたまま、池袋から家までの夜道を戻った』とゆうのがショージキなトコだ。とゆうのは、決してホメてない。『押井は、もぉイイや』とゆう想いをいたしたコトも憶えてる。
(…あと1コふしぎなのは、文芸座だからタブン2本立てだったろーに、併映作品をまったく憶えてない。ソレはすでに見た作品だったので、その場では見なかったのかも?)
ソレがまー、ご覧のブログを始めてしまったとゆうキッカケで、今作こと「攻殻機動隊」を再見してみたが…。

押井ファンの方々におかれてはご存じなさそーなコトから申すと、少年マガジンに載ってた「ケンコー全裸系水泳部ウミショー」とゆうまんが作品がある(作・はっとりみつる, 2006, KC少年マガジン, 全9巻)。コレは『スポ根系ラヴコメギャグショート』とゆうチャレンジングなスタイルの創作で、そのヒロインたる沖縄の離島生まれのド天然少女は、羞恥心がひじょうに足りない
その子が江ノ島っぽぃ神奈川の高校に転入してキて、そして入部した水泳部のキャプテンがアッパレな変質者であり、カレは羞恥心がない。で、コイツら2ヒキの相乗作用によって、オハナシはスポ根要素をカラめてのハレンチなドタバタギャグになる。別にオススメしないけど、ギャグ要素の濃い初期はけっこー面白い(…しかし同作のTVアニメ版は、最初の2回しか見なかったが、単なるラブコメなのではと)。

『ソレをふまえて』…とゆうツモリなどまったくあるワケもなかったが、けれどもこのたび「攻殻機動隊」を再見してみたら、『不ケンコー全裸系サイバーアクション』とゆうフレーズが脳裡に浮かんでキたのだった。「攻殻機動隊」とゆう作品の描くところを『不健康』と言い切れるかどーかは知らンが、少なくともケンコーでなさそーなコトだけは確かでは?

「ウミショー」のヒロインもコッチのヒロインもちゅうちょなく全裸になるが、≪羞恥≫がないところでの全裸ごときには、フツーの意味でのイロケがない。特に『コッチのヒロイン』とゆわれた≪少佐≫のカラダは、無イミにキン肉をツケ足されたマネキン人形かのよーで…。しかもじっさいに作り物の『義体』だとゆう設定がツィてンだから、いまの語でゆうなら『萌え』よーがない。と、言い切りたいトコではあるが…。

今作「攻殻機動隊」が描いてるテカテカの作り物の≪裸(ら)≫、エロスとゆうか性的な機能性を剥ぎ取られたマネキン的な≪裸≫、解体されたり崩壊したりしてそのグロテスクな内部をムキだしにする≪裸≫。『萌え』ではなくして、『萎え』をもたらすよーな≪裸≫。
ソレらを称して、『アンチ・ヌーディティ』とでも呼びたいよーには想うンだけど。しかしその『アンチ・ヌーディティ』もまた、『ヌーディティ』の一種に他ならぬコトは明らかだ。
だから、この…。ハッキリゆうならタイクツきわまる作品の冒頭に少佐の過剰な≪裸≫が、その“内部”までも超ムキ出しになってるコトは、『プロダクションの勝利』とでも形容しとくべき快挙なのでは? そーして少佐の義体のホーカイ気味な≪裸≫の提示は、かの大メイ作、フリッツ・ラング「メトロポリス」の大ヤマ場…アンドロイド≪マリア≫の肉体が焼け崩れるシーンを反復しつつ、あわせて見る者らの≪享楽≫をアオり立てる。さきに筆者の脳裡に浮かんだコトバ…『不ケンコー全裸系』とは、あるいはコレらのコトか。

しかもオハナシのケツ末で、終盤のドサクサにズタボロになってしまった少佐の義体は、≪ロリ少女≫とゆうカタチのモノに換えられている。とゆう眺めを見て、かって池袋のオレは呆れるばかりだったが、いまの自分は『大した≪ギャグ≫だ!』と感心してる。
無イミにゴツぃマネキン人形かのよーだったモノから≪ロリ少女≫へ、記号は記号へと変換される「攻殻機動隊」と呼ばれるこの作品は、表面上のオハナシとはまったくカンケイなさそーなトコで、1つの問いを提出してるのだ。すなーち、『性的な機能のないモノが、性的な記号として機能する、とはコレいかに?』、と。

スマンが筆者が正しい答をゆっちゃえば、ソレはニンゲンらの性的活動が、『本能』とやらとは無カンケイな≪記号活動≫だから…てぇコトになる。オーガズムとゆう現象は生理テキなモノではあるが、ソレにいたるべくしてニンゲンらはあらゆる記号操作をヤる。
(逆のトコも見とくと、「ウミショー」のヒロインの≪裸≫は単なる裸であって記号性に乏しいので『イロケ』がない)
で、コレをはじめに押井作品らのモンダイ設定には、カンタンなコトでもわざーざミスリードするよーに構成してる…とゆうトコが見うけられるが、まぁソレはよい。

かつまた。ニンゲンの性が記号活動である一方で、記号(シニフィアン)とゆうモノの根源に性的な≪イミ≫があると考えてるわれわれは、また別のニンゲンについての問い…『服を着たから体毛がなくなったのか、体毛がなくなったから服を着たのか?』を、反復してる感じもなくない。で、その、『ナゼにニンゲンには体毛がないのか?』とゆう問いに対し、『その方が、性的にキモチいいから。』とゆう説をマジで提唱してる学者サンもいてなはるとか(!)。
一方、今作の劇中で少佐が示してる『“特殊化”は、意外とよろしくない』とゆう見方に従えば、その問いへの答は、『状況に応じて、イロんな服に着替えデキる方がベンリだから』となるだろう。コレもまた一定の正しさを有する答かとは考えられ、ゆえに人類はアレコレと≪コスプレ≫を愉しむコトがデキるワケだ。

ところで、「ウミショー」のアニメ版を2回だけ見て想ったンだが。原作まんがのワリと下手クソで未整理にゴチャゴチャと描かれたモノを、集団制作のアニメでスッキリ整理して描き直してしまうと、『何ンかイヤらしいばかりだなァ』…とゆう感じになり下がってる。と申した、『ヘタに整理すると、逆にイヤらしくなる』…とゆうテーゼは憶えといた方がよさげ。

さァて、しまいに。ココまでの堕文をご覧の賢明なる諸姉兄におかれては、トーゼンお気づきの方もおられよーけれど。今作「攻殻機動隊」の続編かと目される「イノセンス」は、いままでわれわれが見てキたポイントを…明示テキにはゆわれてなかった問いかけを、ややハッキリと提示したモノに他ならない。つまりこの連作を真に連結してるのは、≪機械の花嫁≫とゆうテーマ性…とゆうか、そのよーな性格をそなえた記号であり…。とゆうワケだが、今回の堕文はこのへんで。

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