2009/09/21

黒死館の彼岸、でなくその手前に Pt.2 - イノセンス(2)

『Pt.1』からの続き…)ところで筆者は、『押井守「イノセンス」-と-小栗虫太郎「黒死館殺人事件」』とゆう作品ら2コを、恣意的に並べてみてる…とゆう気がしない。ドッチも一種の謎解きミステリーである…などとゆう共通項だけでは大マカすぎだが、この2コにはさらに、『人形、自動人形、人形愛』…とゆうモチーフのカブリもある。

「黒死館」には、物語のスタート以前に死んだ先代当主が(カレの亡妻の生き写しとして)愛した≪自動人形テレーズ≫、とゆうモノが登場する。そして最初の殺人の後、メイ探偵の法水は、ホンキではなかったのかも知れないが、『犯人もしくは殺人の手段がテレーズだったのでは?』…のよーなコトを言う。
その一方のわれらが「イノセンス」はストレートにも、『人形がヒトを殺す』とゆうオハナシではある。少なくとも、直接の殺人の手段が人形(アンドロイド)によるモノであるコトはマチガイない。そしてその人形らは≪性交≫の機能をも有するシロモノで、ハッキリ申せばロリコンの金持ちオヤジらの愛玩用ロボメイドで…と、ココもまた設定がストレートになっている。

(ストレートな反復…とゆうなら大余談だが、竜騎士07「うみねこのなく頃に」とゆう多メディア作品が大きな注目の中で現在進行中で、筆者もそのコミック版の第1巻を読んだが。コレがまたストレートに「黒死館」のフンイキをいま風のモードで反復してるモノであり、ソレへの1コのオマージュであろうとしか見れない。そーすると意外にも、この21世紀初頭に「黒死館」を反復するコトは、大いにアリなのやも?)

また。「黒死館殺人事件」(1935)とゆう長ぁ~い小説のド中盤、その館の新たな主人になろーかと目されてる青年が、ストラヴィンスキー「ペトルーシュカ」(1911)のメロディを口笛で吹きながら登場する。よりにもよってそんな曲を登場のテーマにするなンて、さすが≪黒死館≫の住人だ、と筆者のよーな凡人はビックリする場面だが…(ちなみに≪黒死館≫の主な住人らは、総じてクラシック音楽のすぐれた素養を有する)。
そーするとメイ探偵の法水はその青年をつかまえて、カレがカビ臭いウンチクのみならず、同時代の『前衛』芸術にも明るいトコを見せる。

『僕はその「ペトルーシュカ」が、ストラヴィンスキーの作品の中では、一番好ましいと思っているのです。恐ろしい原罪哲学じゃありませんか。人形にさえ、口を空いている墳墓(はかあな)が待っているのですからね』(小栗虫太郎「黒死館殺人事件」, 第三篇の三)

とゆわれて想ったのだが、筆者はバレエ作品「ペトルーシュカ」の音楽にはけっこーなじみがあるけれど、ソレがどんなオハナシかは知らンかった。…とゆうか、『どんなオハナシなの?』とゆうギモンをいだいたコトさえもなかった。ソコでこのさい調べてみたらコレは、命を吹き込まれた人形らの物語なのだった。
カーニバルの見世物用に魔術師が、主人公のペトルーシュカ、美貌のバレリーナ、そして勇ましいムーア人…とゆう3体の人形に命を与える。≪心≫を手に入れたペトルーシュカはバレリーナに恋をするが、しかし彼女はムーア人になびき、主人公は相手にされない。さらにカレは、産みの親の魔術師からもナゼだかウトまれ気味だ。
そーしてしまいにペトルーシュカは、ムーア人に追いかけ廻されたアゲクに惨殺され、ハラワタ代わりのワラ束を引きずり出されてしまう。ソレが公衆の面前でなされたのだが、しかし人々は『タカが人形のコトだし』と気にも留めぬ…とゆった、こりゃ~またイヤなオハナシではある。音楽だけを聞いてたいままでは、『カーニバル的なフンイキはあるなァ』とゆう感じしか受けとってなかッた。

よって法水のゆってンのはまず、『人形とても、死ぬときは死ぬ』くれーのコトだろう。ンだがソコへと、『原罪哲学』とゆうムズぃコトバが付随してンのはナゼか?
ソレはペトルーシュカが≪心≫を持ったコトが、神にそむいたイヴとアダムがムダにチエをつけ『性欲』をも得るハメになった≪原罪≫と、同一視されてンのだ…と考えられる。そーしてヒトと同等になったモノはヒトらと同等の≪原罪≫をもしょい込むハメになり、そしてヒトらと同等の死すべき運命(さだめ)をもしょい込むのだ。
するとけっきょく≪ペトルーシュカ≫とは、他ならぬわれわれのコトではなかろーか…とゆうハナシになり気味だ。異なるとゆえば、ニンゲンであって人形でないところのわれわれは、『人形の死』などには気を留めない…とゆうコトだ。
(なお、「黒死館殺人事件」にての≪人形≫とゆうモチーフは、そンなには掘り下げられてもない、とは付記しとく。いまご紹介した場面は青年に向かって法水が、『アンタ、人形を使ってナニかやってない?』とゆう揺さぶりをカケてンのだ…的に見れる)

ところでココからはネタばらしのよーなハナシになるので…と、皆さまにごチューイを促しつつ。

まず発端に、愛玩用の少女型アンドロイドが暴走し、その持ち主を殺したアゲクに『タスケテ…』とうめき声を挙げながら自らをも破壊…とゆう事件の続発。とゆうトコから始まった「イノセンス」のヒーローたちの捜査はさいご、ナマ身の少女たちの救出で終わる。
したくないンだが『説明』すれば、悪のロボットメーカーが、単なる電子頭脳のアンドロイドでは出せないテイストを出すタメ、かつ顧客側の見かけ上の合法性を確保するタメに、ナマの少女らの魂をアンドロイドに吹き込んで販売してた。その気の毒な少女らが救けを求めて、アンドロイドに暴走事故を起こさしてた…のよーなオハナシらしーが、今作は。

とゆう≪真相≫を知った上でヒーローが、かわいそーな少女の1人に向かってゆったセリフが出色だ。いわく、『魂を吹き込まれた人形がどうなるかは、考えなかったのか?』
その場でどーしてそーゆうセリフが出てクるのかを、まったくリカイできなかッた筆者は、大いなる自信を持って『アイ・アム・リッパな凡人でござる!』とゆえそーかも。けれど「ペトルーシュカ」のオハナシを見た上では、むげに人形に≪魂≫を吹き込むのも罪やも知れぬ…とまでは、思えなくもないけれどそーゆうコトをしたいのが、ニンゲンとゆう生き物なのだ。ヒトの≪原罪≫とゆうモノがあるとすれば、ソレだろう。

ところでだが、「イノセンス」の原作の「攻殻機動隊」とゆう作品世界の中ではサイボーグ技術およびロボット工学がヒジョーにススンでるが、しかし作中で『ゴースト』と呼ばれるヒトの≪魂≫のよーなモノまでは製作デキないらしぃ。だからこそロリコンのオジ様らをマン足さすタメのアンドロイドにも、ナマ身の要素が必要だったワケだ。
そーして『作り物のボディに≪魂≫が入ってる』とゆうその状態は、おなじみこのシリーズのヒロイン≪少佐≫がまた同じ、かと想うのだが。
そーしてこのオハナシは、一方に肉体とカンケイなく≪魂≫があるとゆうリッパな観念論と、また一方の≪神人同形論≫とにブンレツしてて、マトモな焦点をなしえてない(…ただし『テーマ論的に破綻してれば駄作である』、ともゆってない)。
そーしてシリーズ第1作を反復し、『女体っぽぃ作りモノの崩壊=アンチ・ヌーディティとも呼べるヌーディティ』の提示に始まって、ナゼかさいごは再び≪ロリ少女≫の現出によって終わるこの作品が示してるコトは、少なくとも1つ…題名に言われた≪イノセンス(無垢)≫を求め、ソレをどーにかしたいとゆう≪欲望≫の遍在であるにはチガいない。イヤなコトを申すけど今作に描かれたよーに、ロリコンのオジ様も≪人形≫を欲し、小さな女の子たちもまた≪人形≫とたわむれ遊びたがるのだ。そーして≪無垢≫を求めるヒトビトは自分こそを無垢だと考えたくて、そしてその≪罪≫を重ねる。

【付記】:コレをカィてる最中にフと部屋のBGMを止めたら、遠くからチンドン屋のお囃子が聞こえてキた。想ったよりもすぐに止んでしまったが、タブン幻聴ではなさげ。
筆者にとっては、『押井守作品』を音楽的に特徴づけるのがチンドン屋の演奏とウットーしぃド演歌なので、こーゆう現象はトーゼンありうるかと考える。

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