「機動警察パトレイバー」とゆう作品系列に色濃く見えてる、『遊び』のフンイキ…とゆうコトにつぃて、また少々。まったくもってタマタマなンだけど、近ごろ永井豪「マジンガーZ」(1975)のまんがをチラホラと再読する機会があったンだが。
そーして想ったのは、『この悪のボスであるドクター・ヘルとゆうヒトは、ホントに≪世界征服≫をする気があンだろーか?』…とゆうコトだった。ソコにいたるまでの『プラン』てモンが、どーにも見えないとゆうか。イロイロと理由をツケてはいるンだけど、けっきょくはマジンガーZらと、じゃれ合いたぃだけなンじゃねーのか…とゆう気がしてならない。
(かつ、おなじみの大幹部≪あしゅら男爵≫の思ワクは、ボスとはまたチガぅ。すなーちカレは『機械獣』の破壊力を用いて、『このくされきった世の中を』叩きツブす、自らの手で『世界をほろぼす』…ナドと、近ごろわれわれが言う『中二病』チックなコトをゆってやがるッ!)
と、こーゆうムカシのまんが(アニメ)の≪悪役≫らをいま見ると、『勧善懲悪のSFアクションとゆうジャンルの“構成上の要請”により、“目的論テキに設定”された』、とゆうシロモノに感じられてクる。で、ソレに対し…。
近ごろ筆者は、まんが版「パトレイバー」のスター的(?)悪役の≪内海課長≫につぃて、『かの≪デスラー≫や≪シャア≫らには及ばぬまでも』…なンてコトをカィたが。ソコで名が出た2巨頭らがSFアニメの悪役・カタキ役として、ドクター・ヘルあたりとは世代が異なり中ミが異なる感じ、とは想える。2人とも(相対的には)目的意識を持って合理的に行動してるワケだし、かつ、ジンブツとしての存在感がひじょうに大でもあり。
そのよーに『アニメ史』の中で、Late 1970'sにチョッとした革新があり、そーして悪役像とゆうモノも変化をきたした…とゆうのは誰もが知るコトだが。けれども≪内海課長≫はソレを追って、1つの≪転覆≫をヤラかしてくれてンのだ。
つまり古風な悪役らをいま見れば、『実は遊んでる、とゆうふーにしか見えない』とゆうトコを内海カチョーは、逆に肯定してる。悪の側での『合理性』を装いながらもカレは、『実はまったくもって遊んでるだけ』、とゆう悪役をイシキして演じてるのだ。ソコにいたっては逆に、レイバー隊とゆう善玉の方が、カレの遊びに必須な要素として『その存在を要請される』…とまでなってそーな感じッ!?
で、ワリに近年の作でそーゆうハナシをナニか知ってるなァ…と想ったら、浦沢直樹「20世紀少年」(2000)に、なかなか近ぃトコがある。コレは映画にもなった話題のまんがなのでご存じかと想うけど、その作中のカタキ役で≪ともだち≫を名のるオトコは、よーするに主人公らと『遊びたい』がタメだけに、幼時の『ごっこ』の延長として、次々と悪いコトをするのだった。
で、その「20世紀少年」とゆう作品には明らかに、1960'sのSFまんがへのオマージュとゆう性格がベッタリとツィている。モトの同級生である主人公らは、そんなモンに傾倒してたコドモ時代のコトをすっかり忘れてるケド、しかし≪ともだち≫はず~っとそのコドモ時代のドリ~夢に生きている。『趣味の世界』をゼンゼン卒業しないし、しようと想ってない。そして内海カチョーにしろ≪ともだち≫にしろ、デスラーやシャア以前のオールドタイミーな悪役らの行動様式を、逆にイシキ的に反復するのだ。
デスラーはもちろんシャアにしろ、その人物像には、≪オトナ≫だとゆう面がある(…カレらのカツヤクする「ヤマト」や「ガンダム」が、『オトナの鑑賞にもたえる作』、とか言われる理由の1つ)。少なくとも、ヒトをつかまえて『ボーヤだからさ』とかゆうヤツは、自分はオトナだと想ってるハズで。
けれど内海と≪ともだち≫は、オトナ特有のワル知恵や行動力を大いにそなえておりつつも、しかし根本テキには≪コドモ≫以外でない。オトナとしての手段やチカラを使うけれど、行動の理由や目的が≪コドモ≫以外でない。
そしてこの21世紀初頭、いいトシしながらアニメとか見るにも、『コレは“オトナの鑑賞にもたえる作”だから』…ナドと言い訳をするヤツは、いまやもういない。トシは喰っても稚気がゼンゼン抜けないよーなヤカラ(オレ含む)があふれてるゲンザイに、内海カチョーや≪ともだち≫のよーな悪役像は、アップ2デートだとゆえるのかもなァ…と、コレらを見ていて筆者は考えたのだッた。ではまたっ!
2009/11/03
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